今野雅方 論文ゼミGlobe 小論文をひかえた大学受験生、大学生、あるいは再度勉強をしたい社会人のための小論文教室

今野雅方 Globe 論文 Globeについて

設立趣意書

戦後新たに歩み始めた日本は復興と発展を期して高邁な理念を掲げ、その実現を目した制度・機関を組織運営して多くの重要な成果を残して参りました。しかし、ほぼ半世紀後、その運営は進展する時代との間に齟齬を来すようになり、以後は状況の変化に対応するシステムが各方面で模索されて今日に至っております。


教育の世界も例外ではありません。新制度導入後の数度の改革とその間の努力によって一旦の確立を見た後、社会全般の変化と現実の要求に対応すべく、この世界でも更なる変革が要請される事態となりました。この変化と要求には、先進国社会に共通し、教育に携わる者だけでは如何ともしがたい問題が種々含まれております。そのためかどうか、現在に至っても、望ましいシステムはなお見えておらず、小学校から大学に至るまで、理念においても、制度・組織においても、またその実質をなす現場の教育形態においても、様々な改革と多様な対応が必要な状況にあります。


旧来のシステムが制度疲労に喘ぎながら、新しいシステムが未だ見えてこないこの変革期のなかで、改めて児童・生徒・学生の状況に目を向けるとき、初等教育の在り方もさることながら、私どもはこれまでの経験から現在の教育の最終到達点である高校・大学の在り方に特に注目せざるを得ません。人間的に大きな変革を経て自己の核が形成されるこの年齢期は、感受性と思考力を鍛錬して自己を陶冶する訓練が本格的に行われるべき時期に当たります。学ぶ者はこの時期にみずからその訓練を経て、広く深く人間とその世界を把握して、来るべき世界に立ち向かえるようにならなければなりません。他方、この若い世代の人々を受け止める側には、その伸長に応える制度・機関の整備と充実とが不可欠であります。


私どもは、思考力の養成を求めて十年ほど前になされた入試制度改革に応じ、大学における本格的な論文の雛型とも言うべき文章の指導を試行的に高校・大学生に行って参りました。それは、期せずして、この試みがどれほどに若い人々の知的関心と自覚を呼び覚まし、思考の枠組に改変をもたらすかの発見となりました。日本語その他諸外国語の様々な文献を読み、内容を理解し、その理解に基づいて現実の事態を考察しながら文章を書くこの営みは、ともすれば受動的な理解の蓄積に終始しがちな学科の勉強や講義に伴うレポートと根本的に異なり、直接に人格の形成過程に絡んでいたからです。感じ考える主体としての自己を取り戻した生徒・学生は、介添役となった私どもの傍らで、みずから記した言葉に自分の姿を見出し、更に語るときに必要な言葉を改めて獲得し、その言葉に負うべき責任を自覚していきます。この勉学は、現実に対して目を開かれ、自分の無知を悟ることから、多層多様な現実のなかに以後の糧となる意味を見出すものだったのです。あるいは、長年の慣行のために縦割りのなかで固着してしまった個別学科・学問の内容を、みずから再び現実から思考を起こすことで綜合する方向へ歩み出す第一歩だったのです。私どもは、こうした営みに打ち込む若い人々の姿を見ているうちに、この勉学こそは生涯の核を決定する変化のなかに潜在する知的欲求に応えるものであると同時に、閉塞状態にある現在の教育に一つ変革をもたらすものである、と確信するようになりました。


生活のなかで培われているはずの感覚から文章や文章語へ至る道筋が非常に細くなった今日の世界において広くこの勉学を推進するためには、教材の拡充、個別学科との綜合、スタッフの確保など、なすべきことがなお山積しております。しかし、学力の在り方に関する議論が性急な次元に終始しがちな今日、この勉学は広く社会のなかで行われるべきであると思われます。私どもは、その認識のもとに、高校・大学と連動しながら活動する独立の第三者的機関としてNPO「日本論文教育センター:Globe」を設立することを決意いたしました。来るべき生涯教育の時代に利用者の年齢や学歴を問う必要はなく、時代的に国籍の別を問う必要もありません。本を読まないできた人々が文章への接点を見出すところから、みずから文章を書くことで自己を知り現実に対処する力を養うところまで、日本人と外国人への日本語の文章と論文の指導、および米国の大学と提携して日本人への英語の論文指導を中心に活動を行い、将来は使用言語を独仏語へも拡大して参りたいと考えております。


高等教育への新たな選択肢となるこの教育を行うには、現状ではインターネットの利用とスクーリングの併用が極めて望ましいと私どもは判断しております。特定の高校・大学で多数の生徒・学生に一人の教員が授業・講義を行う従来の対面式形態は、教育機会とマスメディアの多様に発達した今日、すでに旧弊なものになりつつあります。この状況に鑑み、私どもは新たな媒体の活用と大学の生命の一つとも言うべきゼミ形式を利用して活動を行うと同時に、あるべき高等教育の在り方を追求して参りたいと存じます。