綜合科目として入試改善に活用すべき小論文
数年後には大学入試の意味がほとんど失われると見込まれている。少子化などの影響で統計上は進学希望者が全員大学に入れる計算になるからである。大半の大学はいわゆる学力を試験で判定できなくなるため今から対策に苦慮しているが、その必要がない東大などの難関大学も変化を迫られることでは変わりがない。現在の入試問題が内発的な力の養成を促すものになっていないからである。その力を引き出して子供の気持ちを勉強へ向けさせることに学校や家庭はこれから更に苦労することになるだろう。しかし物は考えようである。国公立大学の三分の二、私立大学の半数ほどが採用するようになった小論文試験のもつ本来の意味を再認識し、これを選考の要として活用すれば、あまりにも不毛な勉強から脱却する絶好の機会として大学全入時代の到来を迎えることも可能だからである。
小論文の活用はその改善から始まる。現行の小論文試験は隙があるために知力を高めるどころかマニュアル化が甚だしくなり、進んでマニュアルを教えるところも少なくないからである。勉強は試験のためにするものという本末転倒した近年の風潮も問題で、知識とテクニックさえ仕込めばこの試験も学科と同様に乗り切れると高を括る生徒が後を絶たない。しかし、こうした隙や歪みや誤解の原因は小論文の意味がまだ広く認識されていないところにある。実際、小論文をあなどっていた生徒も、授業でみずから文章を書いてみると自分の錯覚に気づかざるを得ない。個々の言葉の意味も個々の事態の連関も現実に即して考えなければならないため、生きた知識が必要になり、改めて自分の生きる世界とその世界に生きる自分に目を向けなければならなくなるからである。社会との直接の連関を自覚できる機会に乏しく、家庭という保育器の中ですんなり大きくなってゆく現在の日本の未成年にとって、これは得がたい経験である。
この経験を通じて従来の学科に著しい受動的理解から脱却する可能性が得られる意味は大きい。書こうとすると自分がほとんど何も知らないことを痛感するので、みずから事実に当るべく種々の文献に手を伸ばすようになるだけではない。その結果得られた知識と理解を統一しなければならないので、論理的に考える習慣がつく。個々の事柄を納得して受け入れることができるので、勉強の意味をみずから確認できる。考える対象に自分も入るため、奇麗事や自分を棚上げした文章が書けなくなる。その間に大学生にも顕著な「てにをは」の狂いが消え、国語では養いがたくなった要約力など文章を処理するときの基礎的な力が身についてゆく。通念とは裏腹に、小論文は学科以上に知識が必要で、知識と思考と自覚をみずから文章を書くことを通して融合する綜合科目なのである。
この特質を活用しない手はない。知識の習得にあまりに無意味な努力を強いた時代に戻れず、その弊害を除去する方法も見いだせない方向喪失の現状を乗り超える有効な手段となるからである。十一月十二日、国大協会は前・後期試験の一本化に関して複数の受験機会を確保するにとどめ、事実上入学試験の改善を先送りしたが、今は大学教員が高校に出向いて授業を行ない、勉強が単に覚えるだけではないことを教える時代である。大学にはこの高校との連携を更に密にして入学試験を改善し、勉強の意味を取り戻せる選考形態に改めるよう望みたい。
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